青山ひろし35歳の春第5回

「あおやまはん、いてるか?」
「あー土方はんでっか、まいどおおきに」
「おおきに」

「また、わざわざうちまで足を運んでくれはって、一体何事でんのん?」
「いやな、あおやまはんにだけはちょっと話しとこ、と思うことがあってな、うちの部長のことなんやけど」
「へー部長はんでっか、最近毎週日曜日に一緒に走ってまっせ」

「そうやてな、それで、ちょっとあおやまはんの耳にだけは入れた方がえ〜思うて、きたんやけどな。これ絶対時期がくるまでは秘密にしてもらわなあかんで」
「へー、またえろ〜たいそうなことでっか?」

「そうや、うちの部長が広島の本社から京都に単身で赴任してきはって丸四年たつのやが、実は今年3月末の年度変わりに、広島に戻ることに決まったらしいんや。」
「えっ?ほんまでっか?」

「ほんとや!おととい部長から、本社から内示があったと聞いたんや」
「・・・・・・・・・・・」
「あおやまはん、どないした?」
「いや、あんまり急な話しやよって、言葉がでまへんのや」

「そうやろな、わしかてこの話し聞かされたときは同じやった。そりゃまー、ちょっと強引なとこもあるし、わがままなとこもあったけど、なにせ仕事にだけは熱心なお人やったし、けっこうあれで社員達にも慕われてはった。わしかて、同じや。それにな、あおやまはんは知らへんと思うけど、あおやまはんがいくら失敗しても、いつもかげでかばってはったんや」

「そうでっか・・・・全然知らんかったわ。いつも怒られてばかりで、きっつい部長やと思うてたんでっけど」

「最近では、日曜日になると、あおやまはんとつるんで走ってはると聞いてたしな。それで、部長にはきつく口止めされてんのやけど、わしの判断であおやまはんだけには言うといたほうがえ〜かと思うてな。わしがこの話ししたこと、絶対にゆうてもらたらあかんで。部長、広島に帰る一週間前に公表するゆーてたさかい・・・・・・」

「土方はん、えろーおおきに、その話し聞かせてもろうて、よかったわ」
「そうか、ま、そういうこっちゃよってに、あおやまはんの胸だけに収めておいてや」
「へーわかりました」

そのアト、少し仕事の打ち合わせをして、次長は会社に戻っていった。

あおやまひろしは悩んだ。今度は真剣に悩んだ。ちょっとやそっとでは結論が出そうにないほど悩んだ。

ひょんなことから、それまで全く関心のなかった京都マラソンに出場することになった。そして、少しづつ走り始め、ウエアやシューズも買い揃え、本確的に走り始めた。「代わってやろうか?」と何度も部長に言われ続けたが、こればかりは譲れなかった。

あの部長のことやから、土方次長と組んで今回のことを仕組んだということも充分考えられる。それくらいの駆け引きは平気でやる人である。京都マラソンが終わったあと、「あれ!土方君がそんなこと言ったの、何かの間違いじゃないの!」と済ました顔でいる、ということも充分に予測された。

仕事上の得意先の部長に反発してまでも、走ることにこだわってきた。そして、その部長はあおやまひろしのコーチとなり、熱心に指導してくれた。あおやまひろし35歳はどうしても走ってみたかった・・・。

しかし、この厳しい業界であおやまひろしがここまで仕事をやってこれたのは、あの部長のおかげと言ってもいい。部長は四年も単身赴任で頑張ってきた人である。その部長が毎年楽しみにいていたのが、この京都マラソンであった。

そして、今年の春には、また広島に転勤するという。京都の街を走れるチャンスも今年が最後かもしれなかったのだ。そして、抽選に落ち、最初はあややまひろしを脅して、自分が代わりに走ろうとした。それが無理だとわかると、今度はあおやまひろしのコーチをかってでて、あおやまひろしを完走させようとした。

普段は「京都の人間は何を考えているか、ようわからん」というのが口癖であったが、「でも京都の街は大好きだ」といつも言っていた。その部長の言葉に心の中では反発していたが、得意先のトップということで、いつも表立って反論もしなかった。

「京都の人間は信用できない」と思われたまま、京都を去られるのは京都人として少しつらい気もした。少なくとも部長は京都の街を愛してくれた人であった。愛する家族と別れて、一人ぼっちで知らない街で4年間も頑張ってきた。自分がもし、家族を残して広島で一人暮らしをしなければならないとしたらどうであろう。

自分には京都マラソンを走る機会は、これからも何度かあるだろう。代わってあげてもいいかもしれない。

しかし、来年は今度は自分が抽選に漏れるかもしれない。あるいは、なにかの事情で走れなくなるかもしれない。どうしても、今年走ってみたい。毎朝早起きして、練習してきたのだ。あおやまひろしの悩み深かった。

あおやまひろしは、次長が訪ねてきた日から三日後の木曜日に部長の会社に顔を出した・・・。

「部長いてはりますか?」
「おー、あおやまくんじゃないか、どうしたの、今週初めての顔見せやないの。ちゃんと毎朝走ってるの?」
「部長、まいどおおきに、ちゃんと走ってまっせ」
「そうか、よい子よい子、それこそ僕の弟子や、でもね、そろそろレース本番に向けて体をやすませとかないといけないね。明日とあさっては練習はしないほうがいいね」

「へーそういうもんでっか、でも、走ってへんとまた不安になりそうですわ」
「だから素人衆は困るんだよ。休息をとるのも、りっぱな練習なんだよ」

「部長、すんまへん!」

「なんだよ、いきなり、あおやまくん。また仕事で失敗したの?いつまでたっても、君はあかんたれ職人やね〜。今度はどんな失敗しでかしたの?」
「いや、仕事で失敗したのと違いまんねん!実は誠に申し上げにくいんでんが、わて、京都マラソン走られへんようになりましてん!」

「むっ?何?冗談だろ?なんでまた?ははは、そうか、うちの土方が、急な仕事を押し付けたの?大丈夫!僕に任してよ!お〜い!土方く〜ん!」

「いえ!部長!違いまんねん!わての方の都合でんねん!」
「都合って?君、あれだけ楽しみにしていた京都マラソンを走れないほどの都合なんてあるの?」
「実は・・・・・・・」

「田舎の母親の命日で、今週末に田舎に帰らなあきまへんのや・・・・」
「田舎って、どこ?君、確か五代続いた生粋の京都の職人や言うてなかったっけ?」
「え?ま、そうですが、その・・・・・・。そや、相方の方の母親でしたわ」

「奥さんかい?奥さんのご両親には、去年の暮れに三条商店街でお会いしたはずやけど、いつ亡くなったの?」
「えっ!そうでしたか?」

「そうでしたかって、その時君も一緒に歩いていたじゃないの!」
「そ、そうでしたね・・・」
「やだなーあおやまくん、お義母さんを勝手に、自分の都合で殺してどうするの!このおばか!」
「おばか?」
「そう、おおばかモンや!」

・・・つづく