青山ひろし35歳の春最終回

しかし、結局、部長はその年の京都マラソンを走ることはなかった・・・。

いや、その年だけではなく、その先も永遠に大会に出ることはなかったのであった・・・。あおやまひろしが、代走の件を申し出たその日の夜に、部長は血を吐いて倒れたのであった。肺癌であった・・・・。

あれから5年が経った。今年もあおやまひろしは京都マラソンの出場申し込みをしていた。

いよいよ来週はレース本番である。厳しい京都の冬はようやく峠を越えようとしてた。

あおやまひろしは今日も鴨川河川敷を走った。初春と呼ぶにはちょっと冷たい過ぎる河川敷の風に吹かれながら、あの当時の事を思い出していた・・・・。

「来週はいよいよ京都マラソン本番やな〜・・・・。毎年この季節になると思い出すけど、五年前の春、取引先の部長はんに大会出場を譲ったけど、結局、走られへんやっかったんや・・・。出場権を譲ります、ゆ〜て申し出た日に倒られはって、土方はんから連絡をもろ〜て、実は部長はんは肺癌やったことを知らされたんや・・・・。

広島の本社への転勤も、余命を家族と共に過ごさせようという会社の計らいやったんや・・・・。部長はんは、自分がもう走れる体やないことを知って、わしに完走させようと一緒に練習してくれてたんや・・・。

倒れはった次の日に病院に見舞いに行ったら・・・。

「せっかくの申し出だったけど、僕はも〜、走れる体やないんやから、是非あおやまくんに走ってもらいたい。君が走れば、一緒に練習をした僕が、一緒に走っているのと同じだよ」

と泣きながらゆ〜たはった・・・。アトで、わしが完走したことを連絡したら、心から喜んでくれて、よ〜やった、よ〜やったと、電話口で泣いてはったがな・・・・。結局あの年の夏に部長はんは、家族に看取られながら亡くなったんや・・・・。ほんまにえ〜人やったな〜・・・・。」

「あれから5年経ったけど、やっぱり今年も部長はんの事を思い出してしまうがな・・・・。京都マラソンを走ってると、なんかいつも部長はんと一緒に走っているような気がすんねんな〜。あおやまくん、もっとスピードをあげよう、とか、給水を取ろうとか、耳元で言うてはるような気ぃがすんねん。

ひょっとして、本当にわしのそばを走ってはんのかも知れへん・・・白装束着て・・・。って〜想像したら、ちょっと気色悪いがな・・・。それほどあのお人は、走るのが好きな人やった・・・・。本当に、京都マラソンを最後に走りたかったんやろ〜な〜・・・。」

もし、部長がまだ生きていれば、いつかは当選して走れたのであろうが、部長はもうこの世の人ではなくなったのであった・・・・。

「京都に春を呼ぶ京都マラソン」と呼ばれる大会は、また今年も開催される・・・・。

おわり

(一部、代走行為に賛同するかのような表現がありますが、あくまでも代走はルール違反であり、物語上の流れで、そのような表現になりましたが、作者も代走行為は許されないと考えております)